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活動報告(2024-11-09)

saito@chokaitribe.jp

講演・勉強会「鳥海山の魅力」(本荘山の会元会長 荘司昭夫氏)を開催

2024年11月09日(土)

鳥海山と言えばこの人…といっても過言ではない。鳥海山のことを誰よりも深く知るレジェンド、荘司昭夫氏に鳥海山の魅力について「県境問題」と「登山道以外の楽しみ方」の2テーマをメインに語っていただきました。


荘司昭夫氏は1941年由利本荘市生まれ。西目地域在住。「鳥海山」にはこれまで1,000回以上登頂し、「鳥海山」及び本荘由利地域の歴史にも精通しており、「鳥海山」の魅力を語らせたら尽きることがありません。

【歪んだ県境の問題】
地図で見ると秋田県と山形県の県境が、鳥海山付近で大きく秋田県側にえぐれていることがわかる。日々の暮らしの中ではその不自然さには気づかない。しかし、鳥海山に登ると不思議なことに気づく。秋田側鉾立口から登り始めると程なく秋田/山形の県境を示す標柱が現れるのだ。その違和感に気づいた人は地図を見る。そして不自然に歪んだ県境を認識する。

この県境は今からおよそ320年前の江戸中期に幕府の「評定所」により定められた。発端は矢島藩(1万石)と庄内酒井藩(14万石)の神社同士の争いである。その結果には、当時から幕末まで続く藩のパワーバランスが大きく影響しており、秋田側から見れば不当に決められた内容であり、それが現在の地図にそのまま引き継がれているということになる。
同時期に「評定」された『赤穂浪士吉良邸討ち入り事件』や、戊辰戦争での庄内藩と矢島藩の戦い、さらには、藩領境争いで庄内藩の代表だった人物にまつわる後日談(怪談)まで、逸話に事欠かない。

この不思議な『歪んだ県境』には様々なドラマがある。ドラマがありすぎて、ここまでですっかり時間オーバーです…。

【登山道以外の楽しみ方】
荘司氏レベルになると、鳥海山の楽しみ方も多種多様。その中でもオススメは『沢登り』だそうで、名もなき滝を登っていく。
なかなか我々一般登山愛好家にはチャレンジしづらい楽しみ方ではあるが、鳥海山はそのような新しい楽しみ方の余地が数多く残されている。
その魅力を深堀りし、楽しむことにおいて鳥海山のポテンシャルは計り知れない。

『鳥海山』の魅力…。
とても語り尽くせるものではない。
時には荒々しく火を吹き、地形を変え、神の山、修験の山として人々の暮らしに影響を与えてきた。自然が形造る美しい風景とその恵みは、その時時の人々を魅了し続けている。

日本に律令制とともに国という概念が生まれたころ、出羽国の中心にあった鳥海山は地域のシンボル=まさに目印だった。関ヶ原合戦ののち、最上氏が治めた時代は現在の由利本荘市までが最上領だったため、鳥海山に藩境はなかった。さらに廃藩置県後のごく短期間、にかほと由利本荘は酒田県だった。
境とは時代と人の都合で決まるもの。不自然で、かつ不便があるなら見直せばいい、と思うのが自然な考え方だが…。
まずはここに暮らす人々が「知る」ことが大事なのかもしれない。

地図の上に不自然な線があるとしても、鳥海山の魅力は何も変わらない。
これからも鳥海山と地域の魅力を様々な切り口から探っていきます。

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