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活動報告(2024-06-18)

saito@chokaitribe.jp

「矢島登拝道を歩いてみよう」開催

2024年6月18日(火)
かつて道者道(登拝道)と呼ばれた鳥海山の登山道は、針ヶ岡の一合目「箸の王子」から、二合目「木境」、三合目「駒の王子」、四合目「善神」、五合目「祓川」を通り、山頂の大物忌神社へと続きました。しかし、昭和になり祓川まで舗装道路が整備されると、そこを歩く人もいなくなり、今ではその痕跡をわずかに残す知る人ぞ知る古の道となってしまいました。

今回は一合目「箸の王子」と二合目「木境」の間にある、『幸福神社』付近から『籠立場』を目指して下り、林道篭立場線で折り返す約2時間のトレッキングです。


歩く前に、花立に5月に植栽したルピナスの状況を確認するとともに草取りをしました。すでに苗を覆い隠すくらいに育った草に悪戦苦闘しながら、ルピナスの苗を救出しました。

ルピナスが咲く高原の景観を取り戻すために、今後も定期的にケアして見守っていきたいと思います。


花立牧場付近、舗装路から外れ、車で5分ほど林道を進むと旧登拝道へと続く分岐が…。そこで車を停め、山道を歩きます。程なく『幸福神社』と書かれた石柱が現れます。
神社跡には木造建築の痕跡はもはや無く、石柱と御神体と思われる巨石が残るのみです。
幸福神社は矢島スキー場造営の際、分霊されており、スキー場一山の守護神としてだけではなく、本宮の御利益にあやかり、万民福寿・家業弥栄・良縁縁結び等に神助を賜り、学童生徒の健全かつ修業の成長の神として祀られているそうです。

「幸福神社」跡 全景
石柱
御神体
巨石が静かに横たわる

そこからさらに進むと上りの分岐が。
そして登った先には「波耶多大神」と彫られた石碑が立っていました。大正期に建てられたもののようです。
(「波耶多大神」について調べてみましたが、今のところ由来等はわかっていません)

分岐を上る
「波耶多大神」の石碑

もとのルートに戻り、山道を進みます。
しばらく進むと、また石碑が現れました。ここが『籠立場』のようです。かつては木製の案内板があったようですが見当たりません。石碑にはお地蔵様が彫られています。
『籠立場』の名前の由来は「殿様が籠を停めて休んだ所」ということだそうです。鳥海山を目指す修験者、道者もここで一休みしながら道中の安全を祈ったのでしょう。

『籠立場』の石碑
お地蔵様が彫られている

『篭立場』から先の道は、いよいよ道なき道になってきました。至るところ倒木があり、下草を払いながら進みます。川にかかっていただあろう木の橋も朽ち果て、飛び越えて進みます。

かつての道はすでに草木に埋もれ自然の姿に戻ろうとしています。
木製の案内板等は朽ち果て見当たらない状況ですが、その痕跡は石に刻まれています。
ここには確かに古の人々が歩いた跡がしっかりと残っていました。

近頃はこのような古道が全国的に観光資源として注目されており、矢島の街から花立までのトレッキングルートとして整備・管理できれば体験型観光の誘客にも繋がります。行政と民間が一体となってその価値を認識し、整備・保存・管理していくことができれば、新たな魅力の掘り起こしに繋げていける、という可能性を見出すことができました。

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